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Nutanixはじめて物語(1) ~Nutanixを日本に初めて持ち込んだ男!~

2016年3月 7日

Nutanixはじめて物語(1) ~Nutanixを日本に初めて持ち込んだ男!~

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日本初のNutanixディストリビューターである、日商エレクトロニクス。

今回は、"Nutanixを日本に初めて持ち込んだ男"の異名を持つ、日商エレクトロニクス サービスプロバイダ第二営業本部 所属の伊地知 崇さんに、にしおーこと、わたくし西尾友理がインタビューを敢行しました!

私がNutanixを担当するまでの間に起こった、日商エレクトロニクスとNutanixとの出会い、初めてNutanix社のオフィスを訪れたとき、そしてNutanix社との交流について伺いました。

伊地知 崇

伊地知 崇
2003年、カナダウォータールー大学修了。2004年、日商エレクトロニクス株式会社に入社。営業として大手通信事業者を担当後、2009年から5年間、シリコンバレーにて新規商材発掘に従事。Nutanix、Nicira、Contrail等CloudやSDx分野におけるスタートアップ発掘から代理店契約締結に実績。現在、サービスプロバイダ第二営業本部第一営業部 第二グループリーダーとしてDCやクラウド事業者を担当。

毎月100社以上のスタートアップベンダーの動向を調査!

―― 西尾:今回は、「Nutanixを日本に持ち込んだ男」である伊地知さんに、Nutanixとの出会いについてお聞きします。

伊地知:よろしくお願いします。

―― 西尾:日商エレクトロニクスは、早くからアメリカに拠点を構えていますが、Nutanixと出会った当時、伊地知さんもアメリカで勤務されていたのですよね?

伊地知:そうです。日商エレクトロニクスは、1985年に南カリフォルニアに『Nissho Electronics USA』を開設し、90年代初期にIT先端企業の勃興が著しいシリコンバレーに拠点を移しました。先輩方が発掘したCienaやJuniper、そしてHPが買収した3PAR等、サクセスストーリーを自分でも築きたいという気持ちで、勤務していました。

毎月100社以上、玉石混交のスタートアップベンダーをリストアップ。Nutanixはそんな日々の調査から出会えた原石でした。

―― 西尾:そんな多くのベンダーの中から、Nutanixに関心を持ったきっかけは何だったのですか?

伊地知: 2011年頃、Nissho Electronics USAではクラウド分野で革新的且つ収益化が描けるソリューションを探していました。そんな時に、スタートアップベンダーをリスト化する情報源の一つ、「silicontap(シリコンタップ)」(※1)でNutanixのことを知りました。たった4~5行の紹介文でしたが、将来のITインフラの方向性を垣間見る事ができ、かつ当社で収益が得られるソリューションになるかもしれないと感じました。
※1:シリコンバレーにあるIT先進企業の製品や資金調達にかかわる情報を掲載しているWebメディア。
http://www.silicontap.com/

―― 西尾:シリコンタップでNutanixの存在を知ってから、どのようにNutanixへコンタクトをとったのですか?

伊地知: スタートアップベンダーらしく、Nutanixの公式HPには詳しい製品情報の掲載は無く、「Nutanix E-mail Request」という問い合わせフォームがあったので、そこから問い合わせをしました。それが、日商エレクトロニクスとNutanixとのファーストコンタクトです。

伊地知 崇インタビュー

ずば抜けた「わかりやすさ」...Nutanixは「売れる」と直感

―― 西尾:実際にNutanix社のオフィスで製品の説明を受けて、どのように感じましたか?

伊地知:駐在して3年目、「絶対に売れる!」商材だと確信しました。自分で売りたいと心から思っているので代理店契約をしたいと、Sudheeshに熱意を伝えた事を覚えています。先進IT企業の集まるシリコンバレーでは、技術的な革新性は当たり前。Nutanixも同様で、Google File Systemの開発に携わったCo-Founder/CTO Mohit Aron (当時) が産み出したサーバとストレージが一体化した極端なオリジナリティ。そのアプライアンスが提供するソリューションのシンプルさと明快さ。想定する日本市場へ伝えやすい尖った特徴が満載だと感じましたね。

伊地知 崇インタビュー2

―― 西尾:Nutanix社は、Nutanixのことをどのように表現していたのですか?

伊地知:今のように「ハイパーコンバージド」といった言葉は認知されておらず、当時は『Nutanix Complete Cluster without Virtualize SAN』とか『Nutanix Complete Appliance』と言っていました。また、珍しい二つ折りの名刺を使っていた時期もあり、内側に「Can you imagine virtualizing without a SAN?」ってフレーズが書いてありましたね。Nutanix自身も英語での表現を模索していたと思いますが、日本語へどう訳すかを、当社も日本オフィスと議論しましたね。

名前は市場に合わせながら変えてきていますが、当時からNutanixの肝は、『ソフトウェア』とCEOのDheerajもSudheeshも明言していました。今でこそいわゆる「ソフトウェアデファインド」な製品はいくつかありますが、Nutanixはその先駆的なソリューションだったと思います。

Nutanixを生み出す「人」の素晴らしさ

―― 西尾: Nutanixの技術的な革新性もさることながら、「シンプルさ・明快さ」こそに「売れる!」と感じたのですか?

伊地知:実は、「売れる!」と感じた理由はそれだけではありません。ある時、Nutanix社の社内ミーティングを見学させてもらった事があります。経営陣の性格に左右されると思いますが、非常にオープンな雰囲気でした。その時の、Dheeraj Pandey(CEO)とMohit Aron(当時のCTO)のバランスのとり方が絶妙だったのです。Dheeraj Pandeyは金額面で緊張感を持たせる、Mohit Aronは現場目線。肩の力を抜きながら、技術的な方向性を話し、エンジニア陣をリラックスさせていました。そんなバランスのとり方が、なぜか羨ましく感じ、心地よかった事を記憶しています。

個人的にはシリコンバレーは日本以上に人の繋がりと信頼が大切な場所だと思っています。Nutanixの経営陣が培ってきた人的ネットワークも「売れる!」と確信したポイントですし、こういった創業メンバーだったからこそ、今のNutanixがあるのではないでしょうか。

―― 西尾:Nutanixは、製品も、それを生み出す「人」も、素晴らしかったということですね?

伊地知:その通りです。繰り返しになりますが、シリコンバレーで新規事業開拓を始めてから、Nutanixほど強く「売れる!」と確信できた製品はそれまでありませんでした。つくづく、製品を「目利き」する上で「人」を見ることも重要と感じました。

おまけ

数年前の写真というのは見つからないものですね。社内で当時の写真を所有していそうな社員に片っ端からあたってみたものの、皆様お写真はお持ちでなく...。駐在していたり、出張に行き慣れてしまうと、改めて写真なんて撮らないものなのでしょうか。ミーハーな私だったらスマホでパシャパシャしていることでしょう。私が今度Nutanix本社に訪問した際には、写真を撮影してこのブログにも掲載します!

取材後記

今や1,300名を超える従業員を抱え、全世界に顧客をもつNutanix社。私がNutanixのマーケティングに携わったときには、すでに数多くの導入事例があり、Nutanixをご存知のお客様も多数いらっしゃいました。

そんなNutanixが、2011年当時には32名しかいなかったなんて...。代理店契約締結と同時に3社の顧客を獲得。その後、売れない時期が続いた時に、SudheesHさんと伊地知さんは飲みに行っては、『日本でNutanixを売るためには』を議論。2人とも本当に真剣だったそうです。苦労が無かったわけではなく、直面した課題をパートナーと一つひとつ解決していく、Nutanix社の人との関係を大切にするという社風が見受けられます。

日本法人である「ニュータニックス合同会社」も従業員数を大幅に増やし、上場に迫るほど成長しています。今回のインタビューを通して、あらためてNutanixという今後もさらなる成長が見込める製品のマーケティングに携われることを嬉しく思いました。

次回は、日本に初めてNutanixが届いた日の思い出、そして日本でのNutanixの取り扱いを開始した後に直面した苦労などをご紹介します。
是非お楽しみにしてください。

以上、Nutanix担当にしおーこと西尾がお届けしました。

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